//国造ゆずのルーツは江戸時代?「ゆずいろのくに」の祖を探して

国造ゆずのルーツは江戸時代?「ゆずいろのくに」の祖を探して

国造地区でゆずが特産品として生産されはじめたのは1980年代。

しかし国造地区とゆずとの関わりは、江戸時代まで遡ると伝えられている。

国造が「ゆずいろのくに」となったルーツを、ゆず農家・河原省吾さんと一緒に探った。

 

 

国造ゆずの歴史を探るため訪れたのは、国造地区内の集落の一つ・鍋谷。

ここには国造地区で最古と思われるゆずの大木がある。

 

 

接木されて育つ商用のゆずは樹齢約30年で実が生らなくなるが、このゆずの木は種から育った実生(みしょう)ゆず。

接木のゆずよりはるかに長い寿命を持つため、今でも豊かに実をつける。

 

河原さんによると、ゆずの特産化が始まるずっと昔から鍋谷の各家には必ず一本ずつゆずの木があり、ゆず味噌を食べる文化も根付いていたという。

 

 

さらに河原さんは、鍋谷におけるゆずのある生活の始まりに深く関わっていたかもしれないある人物のことも教えてくれた。

その人物とは、かつて集落一帯の大地主であった杉本庄兵衛だ。

文化元年(1804年)鍋谷生まれの庄兵衛は、貧しかった鍋谷の地を救うべく天保13年(1842年)から宅地造成に取り掛かり、土地も人々に振り分けていった。

慶応2年(1866年)に庄兵衛は亡くなるが、鍋谷を豊かにした神様として鍋谷神社に祀られることとなる。

 

 

この庄兵衛こそがゆずを植樹し、国造ゆずのルーツとなった可能性が高いと河原さんは考えている。

 

庄兵衛も江戸の世の晩秋、ゆずの実を味わっただろうか。ゆずの香りを愛しただろうか。

 

鍋谷がいつ頃からゆずの里となったのか、正確なところは今や分からない。

しかし、鍋谷のあちこちで根を張るゆずの古木からは、間違いなく国造ゆずの始まりを感じることができる。

 

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坂田柚子香

書いた人

東京大学農学部3年生。フィールドスタディ型政策協働プログラム2期生。群馬生まれの東京育ち。中山間地域での課題解決を学ぼうと、2018年夏から国造ゆずに関わり始める。都会に住む学生としてどのような関係を国造地区と築いていけるか模索中。